千年先にも残る お墓を探し求めて

永代供養墓とは、お寺が永代にわたって供養し、お護りするお墓のこと。たとえ、千年先でも残るお墓の建立を目指し、私たち證大寺はまず日本中の評判のお墓を調べて回りました。しかし、いくら探せども理想のお墓に出会うことが叶いません。
永代を約束した大切なお墓であるはずなのに、敷地の片隅に追いやられていたり、建物の中に置かれていたり。その時代の流行に左右されたものばかりでした。だからこそ、そもそも千年先にも残るお墓とはどうあるべきか。私たちはそこから考えることにしたのです。

インドで出会ったお墓の原点 インドで出会ったお墓の原点

千年のお墓を求めて、インドのお釈迦さまのお墓を訪ねたこともあります。お釈迦さまのご遺骨は分骨され、国中に多くのお墓が建てられているのですが、その中でただ一つ、分骨をまぬがれ、埋葬された当時の姿を残すお墓がありました。そのお墓は、ただ小高い丘になっているだけの場所です。しかし、多くの人々がその地を訪れ、腰を下ろし、心の中でお釈迦さまに話しかけながら過ごしていたのです。
その光景を見た瞬間、この場所こそが仏教のお墓の原点であると感じました。お墓とは本来、亡き人と語り合う大切な場所なのだと。ようやく、證大寺の目指す永代供養墓「浄縁墓」の進むべき方向が見えてきました。

お墓

私たち自身も 心から入りたいと思えるお墓を 私たち自身も 心から入りたいと思えるお墓を

さらに、私たちは自分自身も入りたいと感じ、大切な家族や友人にも自信を持って勧めることができるお墓をつくろうと決意しました。
お墓とは、決して故人さまのためだけのものではありません。むしろ、生きている人のためにあります。亡くなってしまった大切な人と、再び出会い、対話する場所。その対話を通して、自分自身と向き合う場所であってほしいと考えたのです。しかし、私たちのお墓に対する願いをすべて受け止めてくださるようなつくり手とは、そう簡単に巡り会うことができませんでした。

イサム・ノグチ

たどり着いたのは、ひとりの石彫家 たどり着いたのは、ひとりの石彫家

イサム・ノグチ

半ばあきらめかけた頃、ひとりの石彫家との出会いが、私たちの浄縁墓づくりに一筋の光をもたらしました。香川県高松市にアトリエを構える和泉正敏先生。二十世紀を代表する芸術家の一人であるイサム・ノグチのパートナーとして、ともに石と向き合ってきた方です。
私たちはアトリエを何度も訪れ、お墓への願いをくり返し伝えました。和泉先生はその度、真剣な眼差しで耳を傾けてくださり、そして、先生ご自身の想いも聞かせてくださいました。静かに、丁寧に紡がれる先生の一言ひとことに、「これで千年に一度のお墓を建立することができる」と安堵したことをおぼえています。

證大寺について

法輪山 證大寺 続命院 法輪山 證大寺 続命院 正式名称は、法輪山證大寺続命院。発祥は承和二年(八三五年)、大宰府に赴任した小野岑守が、飢饉や疫病の際に雨露をしのげず路傍で亡くなる人が多いのを悲しみ、最期を人間らしく看取るための施設を建立したことに由来します。(『続日本後紀』巻第四・『豊前遠鏡』)
ご本尊の阿弥陀如来を中心に、薬師如来、観世音菩薩が安置され、薬師如来と観世音菩薩の看護のもと、最後には、無量寿に帰せよとの願いを込めて「続命院」と名付けられました。
その後元和二年(一六一六年)、学海上人によって浄土真宗の道場として再興されました。時代がくだり、一九八三年、第十九世住職の首都圏開教に従い、寺基を福岡県京都郡続命院より現在の地に移し、次いで埼玉の森林公園、千葉県の船橋に別院が建立されました。
浄土真宗の再興四百年にあたる二◯一六年、東銀座に仏教人生大学を開校し、首都圏開教の拠点として仏教講座を公開しています。

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